深田久弥著 「日本百名山」より、 大山をダイセンと読むのは、氷ノ山・扇ノ山 のように、山陰ではたいてい山をセンと呼んでいて、峠を𡴭(たわ)と呼ぶのが多いの同様、この地方独自の呼称である。伯耆(ほうき)の国のにありながら出雲富士という名もあるのは、この山が整った富士型に見えるのは、出雲から望んだ場合に限るからであろう。私は大山を、松江の城から、出雲大社から、三瓶山の頂から、望んだ。いつも一と目でわかる、秀でた円錐形で立っていた。 |
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今年始めての夫婦で登る日本百名山は、鳥取、大山から大分の九重山と宮崎の祖母山を登る予定で出かけて、大山を登った後は、のんびりと出雲大社や津和野に寄りながら九州まで行きたかったが、天気予報がコロコロ変わるので、大山から下山して大急ぎで九州まで走り、次の日は九重山に登る。3座の予定が4座を登り忙しく、且つカミさんもケガをしたこともあって大変な鳥取・九州遠征となりました。 | |||||||||||||||||||||
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25日早朝、横浜を出発する。新東名から新名神、そして米子自動車道を走り、14時には大山の夏山登山口近くの南光河原駐車場に駐める事が出来た。(駐車場代1000円は、冬期のみで夏期は無料) 橋を渡るとモンベルの新しいお店があるなど、大山寺の参道には新しいお店や、日帰り温泉、食事処もあり土曜日ということもあってか非常に賑わっていた。 |
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トイレの目の前の平らな場所で車中泊をした翌日26日(日)は、明るくなってきた4時45分から登る事にした。当初予定では、27日28日が九州の雨で、26日は大山を下山後に、松江城や出雲大社等を巡ってのんびりと九州まで下る予定でいたが、27日が晴れに変わったため、下山後九州まですっ飛んで行くことにしたのだ。 | |||||||||||||||||||||
未だ薄暗い森の奥へと続く夏山登山道の階段を登って行く。山陰では唯一の日本百名山大山は、整備が行き届きしっかりとした階段が続く。 | |||||||||||||||||||||
美しいブナ林の続く登山道を2合目3合目と少しづつ高度を上げて行く。5合目では、「山の神さま」の小さな石の祠があり、お賽銭をあげて更に登る。すぐ上には、行者谷別れとの分岐に出る。 | |||||||||||||||||||||
6合目避難小屋に6時15分、1時間30分で到着、ほぼCTで登って来た。7合目からは稜線に出て展望が開けて来る。少しづつ山頂が近づいて来た。 | |||||||||||||||||||||
8合目からは大山北壁の崩落した姿が目の前に出現する。山上台地の木道歩きになり緩やかに登っていく。 | |||||||||||||||||||||
9合目からは展望抜群の中山頂が間近に迫ってきた。山頂避難小屋には昨日から宿泊していた登山者たちが賑やかにおしゃべりを楽しんでいる。弥山山頂はすぐ向こうだ。 | |||||||||||||||||||||
弥山山頂に7時10分到着。山頂からは、最高点の剣ヶ峰1729mに続く尾根道は崩落が激しいためにロープが張られていて立ち入り禁止になっている。 | |||||||||||||||||||||
振り返ると避難小屋の向こうには、日本海の眺めや境港で有名な弧を描く海岸線が一望出来た。 | |||||||||||||||||||||
避難小屋の中には、寝袋に入ったままの登山者や食事中の人たちがいて賑やかだった。私たちは小屋の片隅で遅い朝食を摂り、早々に下山していくと、山上台地の狭い木道で多くの登山者とすれ違うことになった。 9時過ぎに下山後は、山陰自動車道に入り、当初予定の松江城等を右に見ながら松江自動車道から中国自動車道へと高速を使い、一路九州へと急ぐことにした。 |
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大山-九重山-開聞岳-霧島山(韓国岳) |
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