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我が家の老犬(17才)は、8月ごろから介護状態が続き、この夏に予定していた「夫婦で登る日本百名山残り3座」に登ることが出来なくなった。今回も、カミさんが介護に残り、当初二人で予定していた日本百名山の北岳・間ノ岳から農鳥岳、そして奈良田への縦走を、山梨百名山の白根三山縦走として、又、来年の下見を兼ねて一人でやって来た。
白峰三山とも呼ばれる。山梨,長野,静岡の県境近く、赤石山脈の主脈である白根山稜に位置し、北岳,間ノ岳,農鳥岳の3山の総称。いずれも標高3,000メートルを超える高峰で、北岳だけを白峰と呼んだこともあった。南アルプス国立公園に属し,白根は雪でおおわれた白い山という意味でもある。 |
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横浜を4時前に出発。新東名を新清水で降りて、7時前に奈良田の第1駐車場に到着した。9月11日に小太郎山に登るためこの奈良田駐車場に来た時には、この駐車場は満杯で、路駐をするほどだったが、今回はガラガラで拍子抜けするほどであった。それでも、ここからのバスの座席は少ないので、40分ほど早く並ぶ。 | ||||||||||||||||||||||
やはり早く並んで正解だった。この第1駐車場から立っている登山者が出て、次の奈良田バス停でも大勢乗り10名以上が立って広河原まで行くことになったのだ。55分もかかり9時35分に広河原に到着した。 | ||||||||||||||||||||||
北岳へは、この吊り橋から始まりますね。前方の北岳は雲で見え隠れしている。20分ほどで、御池小屋分岐まできた。 | ||||||||||||||||||||||
御池小屋分岐からの急登を順調に登り、白根御池小屋までやって来た。ここで昼食休憩でのんびり小休止をしてから、草すべりの登り出す。 | ||||||||||||||||||||||
草すべりの途中から、後ろを振り向くと白峰三山の白い山容が美しい。しかし、昼食がいけなかったか、ここで体調に異変が・・・?。やっとの思いで草すべりの分岐まで登って来た。 | ||||||||||||||||||||||
12日に登って来た小太郎山が目の前にあります。今回は、北岳に向かって行くが遅々として進みません。そのうえガスで北岳が見えないので、尚更進みません。 | ||||||||||||||||||||||
20年ぶりの肩の小屋は、新装開店の真新しい山小屋になっていた。以前は確か平屋だったが、基本的作りは余り変わらず、2階立てになっていた。残念なのは、昔と同じトイレと水場が外にあることだ。但しトイレはキレイになっていた。日中はガスで見えなかった北岳が、夕方には顔を出してくれた。 | ||||||||||||||||||||||
翌朝は、4時前に肩の小屋を出る。寒い! 気温は0度ほどだろうか。手袋をしてヘッデンの点りを頼りに登り出す。4時30分、20年ぶりの北岳だが、真っ暗で感激が無い!山梨百名山の山名標識も写真に撮り、早々に北岳山荘へ向かう。 | ||||||||||||||||||||||
北岳からの真っ暗で、ザレタ道をおっかなびっくり下るが、足下がおぼつかないので、時間が掛かる。吊り尾根分岐の辺りで、東の空が明るくなり始めた。更に下ると北岳山荘と中白根山が見えて来た。 | ||||||||||||||||||||||
5時40分ころ北岳山荘辺りで、朝日が登り、北岳山荘にて小休止。 | ||||||||||||||||||||||
中白根山に朝日が当たり、赤く染まってます。振り向いて北岳山荘と北岳です。 | ||||||||||||||||||||||
中白根山に、6時25分到着した。間ノ岳までCTは60分だが、まだまだ遠そうだ。 | ||||||||||||||||||||||
間ノ岳までは、ニセピークがいくつかあり、なかなかたどり着かない。それでも、CTどおり60分で到着した。間ノ岳の山頂は、広い台地となっていた。 | ||||||||||||||||||||||
秋晴れの大展望で、北には、北岳から甲斐駒ヶ岳、左に仙丈ケ岳が見え、これから行く南には、西農鳥岳と農鳥岳。右には仙塩尾根からの塩見岳と蝙蝠岳。その奥には悪沢岳と赤石岳までの大展望だ。ここで30分ほどの朝食休憩をしている間に、5時ごろから登り出した若い人たちに追いつかれ先行される。 | ||||||||||||||||||||||
休憩後は、正面に富士山を見ながら農鳥小屋へ向かう。農鳥小屋までは、ザレた急な九十九折の坂を下って行く。 | ||||||||||||||||||||||
農鳥小屋では、よく写真やテレビで見る赤・青のドラム缶と有名な小屋番の主人がいた。西農鳥岳への登りが今日のハイライトだ。250mほどの登りだが、急でザレタ登山道は厳しかった。それでも時間に余裕があったので、のんびり焦らず登った。 | ||||||||||||||||||||||
次は、富士山を台座に乗せたような平らな農鳥岳だ。一旦下り、西側から岩稜帯を登り返すが、案外と手強い。45分掛かり農鳥岳に到着した。団子4兄弟の山名標識が立つ。やはり、ここからの展望も素晴らしい。のんびりしていたが、大門沢下降点からの下りも厳しく、大門沢小屋まで3時間もかかるとのことで、20分ほどの休憩で腰を上げる。 | ||||||||||||||||||||||
その先の山梨百名山の山名標識は、風雨に晒されて農鳥岳の山名が見えないが、しっかりと立っていた。休憩後、大門沢下降点まで降りて来る。ここで昨日から話をしていた若い登山者のtwekstさんに追いつかれる。肩の小屋を1時間も遅く出て、三峰岳にも行って来たのに、ここで追い抜かれ、15時前には奈良田まで降りていたようだ。 | ||||||||||||||||||||||
大門沢下降点からは、1時間ほどは荒れた急な下りが続くが、その途中には、ナナカマドの紅葉がキレイだ。 | ||||||||||||||||||||||
標高2100mほどまで降りて来ると、ザーザーと大きな沢からの音が聞こえてくる。迫力がある長い立派な沢?その後、小さな渡渉を2つばかり越えて、標高1700mにある大門沢小屋に14時15分到着。 | ||||||||||||||||||||||
大門沢小屋では、山梨警察の山岳救助隊が、西農鳥岳で登山者救助のため山に入っていたが、下山後に、大門沢小屋にいた登山者に対して、登山での心得等を話してくれた。 | ||||||||||||||||||||||
翌日2日、6時に大門沢小屋を出発。昨日一緒になった、青森の丸田さんと愛知のhigurasi-yさんと3人で奈良田に下る。小屋を出て、直ぐに丸太で出来た橋を渡る。2つ目の半分折れたような橋は、ロープに捕まり危なげなく渡る。その後も、小さな橋や渡渉を繰り返す。 | ||||||||||||||||||||||
7時30分ごろには、揺れるがしっかりとした吊り橋が出てきた。次は立派なコンクリの橋が現れた。「この橋は何のために作ったんだ?」この先には道らしい道が無いのに。 | ||||||||||||||||||||||
森山橋まで来ると、登山道入口は近くなる。5分も掛からずに登山口入口まで降りて来た。 | ||||||||||||||||||||||
左は、青森の丸田さん(68才)。60才から日本百名山を始めて、昨日の農鳥岳で300名山を完登。右が愛知のhigurasi-yさん。農鳥岳で3000m峰21座を完登。お二方と大門沢小屋からの道すがら、色々な話を伺い有意義な時間を過ごし、広河原へのバスが通るゲートまで降りて来た。 | ||||||||||||||||||||||
お二方とは、奈良田の駐車場でお別れし、私は少し遠い奈良田第1駐車場まで帰る。その後、奈良田の女帝の湯まで戻り、日帰り温泉にて再会し、温泉に浸かる。少しぬるい湯だったが、疲れた体には丁度良かったようだ。 今回の山行で、山梨百名山も98/100座。当初は、近場の低山から始めて、適当に登っていたが、いつの間にか残りも2座。しかし、一番大変な笊ヶ岳が残っている。さてどこから登るか、いつ登るか。それとも登ることが出来ないのか?足腰とも相談しながらの今日この頃です。 |
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