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山行状況
日程 2020/5/13 入山地 渋沢駅
メンバー 大島 行動時間
(休憩含む)
7時間05分
コース及びタイム
渋沢駅7:05-7:45八国見山7:50-金峰山晴雲時8:25-いこいの村あしがら8:50-浅間山9:15-不動山9:35-六本松跡9:50-10:30農道記念碑10:40-11:00国府津駅-東海道線-大磯駅11:35-12:10湘南平13:00-13:25高麗山13:35-高来神社13:45-14:10大磯駅-東海道線-横浜
 

 4月から5月の連休は「ステイホーム、家にいよう」と移動自粛要請が声高に叫ばれていたので、連休が終わってから山梨辺りの誰もいない山にでも行く予定をしていた。しかし、連休明けには、更に緊急事態宣言が延長となったので、山梨の予定は諦めて、県内でのハイクを探していたところ、東海道線の国府津駅から小田急渋沢駅までトレランをしている記録を見つけました。そこで渋沢駅から八国見山、曽我丘陵を目指し、余裕があったら大磯・高麗山まで登るハイクに出かけました。

 国府津から松田にかけて、斜めに横たわる丘陵が曾我山で、この山は独立峰ではなく北から浅間山、最高峰の不動山、そして南の高山を含めての総称だが、その麓で有名なのが、曾我の梅林である。
 高麗山は、大磯駅の北側に常緑樹のこんもりとした小高い山がある。一般的に有名なのは、高麗山の山頂から西に30分ほど歩いた所にある湘南平。この湘南平は駐車場が併設されており、気軽に相模湾の大展望が見えるので有名でもある。

 横浜を5時30分に出て、町田にて乗り換え渋沢駅に7時前に到着。南口を7時5分出発した。渋沢駅のすぐそばに国栄稲荷神社がある。神社の前には、秦野市指定天然記念物の大銀杏が立っていた。
 国栄稲荷神社からは、住宅街の間を緩やかに登る道を南に向かうこと20分。なぜか駐車場の前に獅子の彫像があるそれも2体もあり眺めているうちに登山口を通り越してしまう。ここの脇道から入るのだった。慌てて戻ると震生湖への道標があった。
 住宅の裏から北側の丹沢方面には大山から丹沢の峰々が連なっていた。入り口から10分も登ると震生湖と八国見山との分岐まで来る。
 分岐脇には、子供たちが作ったのだろうか、洒落た道標が立っている。八国見山(やくにみやま)と読むようだ。左右どちらからでも行けるようだが、右回りで行くことにした。さらに10分、八国見山山頂だ。山頂には木彫りの山名標識もあった。
 山頂は少し広いが全く展望が無い。昔は見えたのだろう、駿河、伊豆、甲斐、相模、武蔵、安房、上総、下総と記されていた。小休止して軽く朝食を摂ってから先に進む。
 山頂から南に行くと目の前が開けていた。新しい階段とその先には墓地のようだ。階段を下りて舗装道路を下るが、そのまま行くと墓地の入り口に続く道になっていた。
 墓地に入る手前の左側には、やはり新しい階段があった。「ハイカーの皆さんへ、高尾方面は階段を上がって下さい」と書いてある。高尾?どこの高尾かわからないが、ここしか道は無さそうなので登って行く。登って行くと畑の真ん中に出て来た。ここで登山道らしき道がわからなくなる。スマホの地図ナビで確認しながら行く。
 多くの(登山者の)軌跡が林の中に入っているので、行ってみると、道らしき道はあるが、椎茸林や蜂蜜用の養蜂箱もある私有地の中を抜けていた。帰宅後にナビで再確認して見ると、高尾山を通過したようだ。
 しばらく林の中をウロウロしながら畑の中を抜ける舗装された道路に出て来た。最初の畑の脇に続く舗装道路を抜けてこられたようだ。八国見山から35分で金峰山晴雲寺まで降りて来た。
 
 街道まで出て来た。大井松田に抜ける県道77号のようだ。この下のバス停には高尾と記してある。この辺りが高尾の集落なのだ。高尾のハイキングコースにも色々あることがわかった。 
 山の中でバンバン 鳴っていて、イノシシでも駆除しているのかと思っていたが、射撃場があったとは思わなかった。その射撃場の前から左折して東名高速の下をくぐり緩やかに登って行く。
 
 九十九折りの坂道を登ると曾我丘陵の一番北側に当たるのだろうか、畑が続くのどかな田園風景となってきた。8時50分。いこいの村あしがらの建物を右に見ながら進む。
 いこいの村あしがらの脇から国府津に抜ける曾我丘陵のハイキングコースの始まりだ。 西側に大井松田の町並みを見ながら南下していく。
 地図上の浅間山までは舗装された道路を行くが、肝心の浅間山がわからない。地図では道沿いに浅間山と記されているが、道標も無く見付からないので、次の不動山まで先を急ぐ。不動山は写真の入り口道標があったので登って行く。 
 
 不動山は林の中で全く展望が無い。それにしても曾我丘陵のハイキングでは多くの人たちが歩くのだろうに、浅間山も不動山も高山もそうだが、山名標識も道標も少なく、担当自治体の観光行政は梅林関係以外あまり力を入れてない証拠だね。
 不動山からは10分ほどで花が咲き始めたミカン畑が現れてその向こうには相模湾が見えて来た。
  9時50分。六本松跡まで降りて来た。石碑が建ち六本松跡の由来が書いてある。更にミカン畑の中を進みここは一本松の標識が立つ。地元の人に一本松について訪ねると、10年ほど前まで大きな松が立っていたが自然に倒れたとのこと。この道標の場所に立っていたようだ。
 
 一本松から国府津方面に向かい、ミカン畑や梅林、キウイ畑も多い中を抜けて30分ほど下ると相模湾の海が近くなって来た。しかし、今日の海はカスミが掛かったようなはっきりしない展望だった。農道記念碑の日陰で小休止とした。曾我丘陵ではハイキングコースなのにゆっくり出来そうなベンチも無かったので、八国見山から休まずにやって来た。 
 農道記念碑の舗装道路からは、狭いハイキングコースを下って行くと西側には小田原の市街や国府津の町並みも見えて来る。今日は暑いのでその向こうの山々もカスミ、富士山も全く見えなかった。 
 新幹線の高架下から東海道線の暗渠を抜けて左折し、国府津駅に11時到着した。渋沢駅から約4時間、思ったより早かったので、予定通り大磯の高麗山まで行く事にして、東海道線に乗る。 
 東海道線は14両と長く、車内には全く人が乗って無いのでコロナ対策のマスクをする必要も無いほどだった。駅前のコンビニにて、湘南平での昼食と冷たいビールを買い、時計回りで高麗山まで登る事にした。 
 東海道線下の暗渠を抜けて住宅街には入る。すぐ右側に湘南平の道標があり右折して行く。 
 住宅街は急な斜面に多くの家々が立ち並んでいるが、道は狭く車はスイッチバックで上手に上に上がって行く。振り向くと大磯の家並みと相模湾の展望が素晴らしい。
 住宅街の中はわかりにくい。あちこちウロウロし道標を探しながら高田公園まで来る。ここからも住宅は多いが、一本道になって来た。 
 道は狭いが車は多い。どこから登ってくるのやらと思うほど狭いの先に多くの住宅が建ち並んでいた。 
 崩落地点もあり、やっと登山道らしき道に出たと思ったら、すぐ先は湘南平の標識となる。
 湘南平の広場に出た。千畳敷とも呼ばれているそうだ。展望レストランは、コロナの関係か閉まっていて展望台には登れない。
 赤白の大きな鉄塔はテレビ塔のようだ。 広場からは相模湾の大展望と思っていたが、やはり水平線もハッキリしない展望で、本来なら見える三浦半島を始めとして、江ノ島、房総半島から富士山、丹沢山塊もカスミの中だった。
 12時10分。大磯の駅から35分で登って来たので、コンビニで買った冷たいビールを飲みお弁当を食べることができた。
 昼食休憩を50分のんびりとした後、浅間山に寄る。ここには石の祠の後に1等三角点があるが、樹木に囲まれていて眺望は悪い。 
 八俵山を経て高麗山まで来た。古代高句麗の一族が渡来して、大磯辺りに住み着いた為に、高麗山と呼ばれたようだ。 
 男坂から高久神社まで降りて来た。神社からは、1号線を通り大磯駅まで帰るが、高麗山を右に見ながら進み、旧東海道の大磯宿辺りの松並木(今はほとんど無い)を抜けて大磯駅まで帰ってきた。14時10分到着でした。
 大磯からの東海道線は、横浜に近づくにつれて乗客も多くなってきたが、それでも座席はスカスカの状態で、コロナの心配も無用の一日でした。

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