深田久弥著 「日本百名山」より、 雨飾山という山を知ったのは、いつ頃だったかしら。信州の大町から糸魚川街道を辿って、佐野坂を越えた辺りで、遙か北のかたに、特別高くはないが品のいい形をしたピラミッドが見えた。しかしそれは、街道のすぐ左手に立ち並んだ後立山連峰の威圧的な壮観に眼を奪われる旅行者にはほとんど気づかれぬ、つつましやかな、むしろ可愛いらしいと言いたいような山であった。私はその山に心を引かれた。雨飾山という名前も気に入った。 |
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毎日天気予報とにらめっこをしながら山の準備をしている。3日(日)に日光白根山へ登ったばかりだったが、9日(土)〜11日(月)の山の天気が良いとの事で、雨飾山と立山の二つを登る計画を立てた。地図で確認すると、長野県の北端、新潟との県境にある。山頂からの眺めは、眼下に糸魚川市内から日本海、その向こうに能登半島まで見えていた。 |
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前日の8日(金)の昼前に横浜を出る。16号線を橋本まで走り、相模原ICから中央高速に乗る。談合坂にて昼食休憩を摂りのんびりと安曇野ICへ向かうが、韮崎付近にて事故渋滞に巻き込まれた。それでも6時間30分ほどで明るいうちに雨飾山キャンプ場までやって来た。 先客は1名、駐車場脇のテン場にてテントを張り食事の準備をしていた。 |
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ここのテント場は、雑草を刈り取り、芝生のようにキレイになっていたので、ここだったらテントを持って来てテントで寝た方が良かったかな、等を言いながら以前作った、車中泊用のテーブルを使っての夕食です。 | |||||||||||||||||||||
夜中に何台もの車が来たようで、朝起きた時には15台も駐車して賑やかになっていました。 | |||||||||||||||||||||
両端がトイレでキレイに使用されていました。真ん中には登山届け用のテーブルとポストがあった。 | |||||||||||||||||||||
6時前には出発しました。自販機の脇から下って行きます。 | |||||||||||||||||||||
下って行くと木道が出てきます。湿原になっており水芭蕉の葉が巨大に育っていました。。この右側には大海川の広い河原となります。 | |||||||||||||||||||||
20分程で取り付き点まで来ました。ここからは本格的な登りです。 | |||||||||||||||||||||
粘土質の急登が続いており、前日までの雨で滑りやすくなっています。 | |||||||||||||||||||||
ハシゴも出てきました。 | |||||||||||||||||||||
ブナ平まで来ました。取り付き点から25分ほどかかりました。 | |||||||||||||||||||||
荒菅沢手前の雨飾山が見える場所は、1500台地でしょうか。左のピラミダルな山が雨飾山です。 | |||||||||||||||||||||
一旦下ると荒菅沢になります。この時点では気づきませんが、矢印の沢を間違って登ってしまいます。 | |||||||||||||||||||||
紅葉の時期の雨飾山写真は、ここから撮ったのが多いようです。 | |||||||||||||||||||||
水量が多く、正規の登山口からは少し上でしか渡渉出来なかったので、多くの登山者が矢印の沢の手前で休憩しています。 休憩後、そのまま多くの登山者が登って行くので、私たちも連ねるように登ります。 |
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大きな岩がゴロゴロと続く沢を30分ほど登りました。 | |||||||||||||||||||||
すると、私たちの前に登って行った人達が「おかしい、道が違うようだ」と言いながらゾロゾロと降りて来ました。その数15名ほどもいます。 若い登山者が「私が先頭で登ったので…」と言いながら急いで降りて行き、暫くして登り返して来ました「やはり道が違うので降りて下さい」と、更に上にも登山者がいるらしいので登って行く。 |
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8時30分に荒菅沢まで戻る。1時間もロスしてしまい、疲れも倍増してしまった。 先ほど休んだ15mほど下には赤い矢印がありましたが、休憩したところからは草葉に隠れてわかりにくい。 荒菅沢というほどなので、この辺りの川岸には標識が建てられないのか。壊れてしまったのか、標識も無く登山口がわかりづらかった。 |
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正規の登山道も荒菅沢のように大きな岩や石だらけの急登になっていた。 | |||||||||||||||||||||
このような急登が続き、少しづつ脚にきていました。 | |||||||||||||||||||||
1時間ほども登ったでしょうか、白い石の塊が見えて来ました。布団菱(フトンビシ)のようです。深田久弥が登った時は、このフトンビシの『岩の間に廊下のような細い隙間が通じていた』沢を抜け急登を登って行くと雨飾山の直下に出たようだ。 | |||||||||||||||||||||
展望が開けたが、ここからもまだ急な尾根道が続いていた。 | |||||||||||||||||||||
やっと笹平まで登って来ました。道迷いの60分が大分効いています。雨飾山を目の前にして小休止です。 | |||||||||||||||||||||
雨飾山直下から見た荒菅沢源頭のようです。ここから深田久弥氏は登ってきたのでしょう。 | |||||||||||||||||||||
4時間50分もかかってようやく雨飾山山頂です。北東には雲がかかった焼山とその向こうに火打山が見えます。 | |||||||||||||||||||||
写真を撮る頃には、道迷い組の多くの登山者が次々と登って来ました。6時間もかかったという人達もいました。沢の上の方まで登った人です。 | |||||||||||||||||||||
山頂から。新潟方面を見ています。向こうのピークには石仏が立っています。 | |||||||||||||||||||||
石仏と石の祠は、新潟、越後方面を向いて立っていました。深田久弥氏は『山にウラ・オモテがあるとすれば、雨飾山はやはり越後の方がオモテだろう』と書いてある。 | |||||||||||||||||||||
糸魚川と日本海、その向こうには能登半島が見えていた。 | |||||||||||||||||||||
山頂にて昼食休憩を摂った後、荒菅沢まで戻ってみました。やはり多くの登山者が休憩していました。 | |||||||||||||||||||||
沢を渡渉してから、改めて向こう岸を見ました。朝と同じ位置から渡渉して見ると下の登山口が目に入らない。 | |||||||||||||||||||||
この位置から、沢全体をを見回すと、下の方に赤い矢印が見えますが、渡渉出来る所が10mほど上になっているので、休憩した場所からそのまま沢に登って行ってしまったようだ。朝方は、下の登山口が全く気がつかなかった。反省です。 | |||||||||||||||||||||
14時30分、雨飾山キャンプ場まで戻って来る。早々に、雨飾荘まで移動して日帰り温泉に入りました。700円でシャンプー、ボディソープ付き、露天風呂も良かったです。 1時間ほどゆっくりして、大町から扇沢駅に向かう。 |
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大町で買い物を済ませ、扇沢駅の駐車場には明るいうちに着きました。 ここで車中泊です。 | |||||||||||||||||||||
9月9日 雨飾山−9月10日 立山(雄山・大汝山) |
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