深田久弥著 「日本百名山」より、 次に伊吹山は薬草の山として知られた。永禄年中(1558〜1570年)織田信長が南蛮人に命じて海外の薬草をもたらせ、この山に方五十町の薬園を作ったので、特有植物で有名になり、その後多くの本草学者に貴重な研究の場を与えた。明治末年川崎義令氏が採取したところでは一千種に及んだというが、不作法な登山者の増加した今日、果たしてそんなに残っているかどうかは知らない。 |
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10月8日白山−10月9日荒島岳−10月10日伊吹山 |
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今回の遠征は、当初4泊5日の予定で白山の室堂に1泊してから、荒島岳、伊吹山を日帰りで登るつもりだったが、カミさんは、「白山も日帰りで頑張る」とのことで、白山、荒島岳と登って来た。しかし、荒島岳が思っていたよりも大変だったので、荒島岳を下山しながらの足取りが重く、口には出さぬが「明日は登らない」との雰囲気を醸し出しながらも、伊吹山まで来てしまった。遠征最後の伊吹山はどうなることかと思いながら登るが、伊吹山はガスの中… | |||||||||||||||||||||
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道の駅伊吹の里に車中泊したが、思ったより車の往来が多く、うるさくて寝付けなかった。 5時に起床して、伊吹山登山口まで移動した.。駐車場を探しウロウロしていると、おばあさんがこの家の裏に駐車しろと話しかけてきた。この辺りは個人の家が駐車場を貸していて、大きな駐車場がないとの事。 この狭い通路を入り裏側に駐車(500円)した。 |
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この家の目の前が伊吹山登山口である。6時20分頃出発した。 | |||||||||||||||||||||
一合目までは樹林帯の中を歩いて行く。 | |||||||||||||||||||||
30分ほどで一合目となる。以前はスキー場だったようで、草原となっていた。 | |||||||||||||||||||||
草原の中程に立派なトイレがある。中には入らなかった。 | |||||||||||||||||||||
スキー場跡の草原脇の斜面を登り切ると、眼下が一望出来ず少し靄っていた。 | |||||||||||||||||||||
二合目の樹林を抜けると、三合目の草原地帯に出るが、ますますガスが濃くなってきた。 | |||||||||||||||||||||
キレイなトイレから出てくると、二人の山女子が「晴れていると伊吹山が目の前に見えるのだが、今日は残念です」と話掛けてきた。 | |||||||||||||||||||||
四合目から五合目はなぜか近い。大分暑くなって来たので、自販機の冷たいドリンクに眼が行くが、「250円は高い!ここまで車が入るのに」と言いながらもお金を入れるが、昨日までの連休で売り切れのようだった。仕方がないのでお茶を飲む。無駄な散在をしないで済んだと言い訳をしながら飲んでいた。 | |||||||||||||||||||||
五合目からは、緩やかな九十九折りの登山道が続き、六合目避難小屋まで来た。 | |||||||||||||||||||||
避難小屋内部の部屋はきれいに使用されているようです。 | |||||||||||||||||||||
カミさんは、3日連続の登山で足取りは重かったが、文句も言わずに黙々と歩いていた。 | |||||||||||||||||||||
山全体がお花畑という伊吹山でも、さずがに秋の山では花も咲いていないだろうと思っていたが、菊のような花が六合目辺りから咲いていた。三合目で会った山女子に聞くとリュウノウギク(竜脳菊)とのこと。 | |||||||||||||||||||||
八合目ベンチでは小休止をしたが、急に寒くなって来たので、早々に腰を上げて歩き始める。 | |||||||||||||||||||||
山頂まで来たが全く見えません。この建物は覚心堂のようだ。 | |||||||||||||||||||||
伊吹山山頂は、このようにガスの中で先が見えません。ヤマトタケルの像が立っていたが、周りの様子が全く分からない。 | |||||||||||||||||||||
伊吹山で、夫婦で登る日本百名山が70座目です。今年は膀胱ガンで手術して、7月8月と全く山に登れなかったので、今年の登山は諦めてはいたが、初期のガンで抗癌剤治療も無く9月から登るようになって、少しずつ目標の100座に近づいてきています。 | |||||||||||||||||||||
お昼は、寒くなってきたので、このお茶屋さんでラーメンを頼み昼食休憩です。 | |||||||||||||||||||||
お店の人に教わって三角点まで来たが、この弥勒仏の石窟から先が全く見えません。勿論、期待していた琵琶湖は当然のようにどちら側にあるのかさえも分からないので下山します。 | |||||||||||||||||||||
三合目まで下山しました。後を振り返ると稜線が少し見えてきましたが、山頂は見えません。 白山、荒島岳と晴天が続いていたので、一日ぐらい晴てなくとも仕方が無いと思いますが、せめて山頂から琵琶湖を見たかった。残念でした。 |
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14時50分帰路につきました。 帰り際、関ヶ原の近くを通ったので、関ヶ原古戦場跡を見てきました。先日も、映画「関ヶ原」を見てきたばかりなので、小さな感激です。 その後、名神から新東名を経て横浜まで帰りましたが、高速道路は順調で、20時30分には横浜まで無事に帰り着きました。 |
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10月8日 白山−10月9日 荒島岳−10月10日 伊吹山 |
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