深田久弥著 「日本百名山」より、 全く、桁が外れて広い。美ヶ原の範囲はどこまでを指すのか知らないが、南の茶臼山から北の武石峰まで、広濶な山上の草原が、果てしもないように続いている。さあ、どこでも勝手にお歩きなさい。といった風に続いている。 その広さに、さらに眺めを付け加えよう。以前松本平の人々は、美ヶ原を東山、北アルプスを西山と呼んだそうだが、その西山の最重要部分、槍、穂高の連嶺を、東山からまざまざと眺めることが出来る。その豪快な山容を鑑賞するのに、最も適した距離である。その眺めに呆然としてから、眼を他へ移すと、別の多くの山々が我も我もと名乗りを上げてくるのに接するだろう。 |
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7月下旬には孫達も夏休みに入り、今年も我が家へ一週間のお泊まりにやって来た。私たち夫婦の都合も優先し日本百名山へ連れて行くことにした。午前中は、霧ヶ峰の車山肩駐車場から山頂へ歩き、リフト乗り場の脇から下って2時間ほどのハイクをしてから、美ヶ原高原までやってきました。 |
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車山肩駐車場から移動すること40分、美ヶ原の山本小屋駐車場にやって来た。この駐車場も夏休みということもあってか、広い駐車場もほぼ一杯でした。 | |||||||||||||||||||||
この建物が、山本小屋ふるさと館なのだろうか、中は見なかったが、土産物でも売っているのだろう。その脇を抜けて行く。 | |||||||||||||||||||||
まず眼に飛び込んで来たのは、広い草原だ。緩やかな坂にはなっているが、平らな広い道路となっていた。 | |||||||||||||||||||||
美ヶ原の中の広大な牧場である。深田久弥も、「桁が外れて広い。美ヶ原の範囲はどこまでを指すのか」と言っているが見渡す限り牧場である。 | |||||||||||||||||||||
歩くこと15分、孫達はお腹が空いて動けないようなので、美しの搭のベンチで昼食休憩をとることにした。 | |||||||||||||||||||||
美しの搭は、公式ホームページによると、美ヶ原は濃霧になることが多く、遭難が多発しました。その対策の一つとして霧鐘を備えた避難塔が「美しの塔」です」と記してありました。 | |||||||||||||||||||||
昼食休憩後に、塩クレ場辺りに牛が沢山集まっていました。 | |||||||||||||||||||||
本当に広大な高原が山の上にあるものですね。牛ものんびり草をはみながら歩いています。 | |||||||||||||||||||||
王ヶ頭に林立するアンテナはと調べたら。各通信や電力又NHK等の生活に欠かせないアンテナらしいです。 | |||||||||||||||||||||
ひとりで撮影してくれ、とのことで撮りました。 | |||||||||||||||||||||
王ヶ頭ホテルの脇を抜けた裏に王ヶ頭山頂があるようです。 | |||||||||||||||||||||
ホテルの裏側に王ヶ頭の大きな石の山名標識が立っていました。 | |||||||||||||||||||||
ホテル正面に大きな石碑が建っていました。表面に「不畏艱険 勇攀高峯」裏面には〜ミニヤコンカ奇跡の生還〜松田宏也生還第一歩を記す。とあった。 |
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ミニヤコンカ生還記は以前読んだ事がある。 1982年5月ミニヤコンカで遭難した松田宏也氏が20日ほど立って現地の人に救出されたが、凍傷のため両足首切断と両手の全ての指切断したが、リハビリ生活を続けている。という山からの生還記です。 |
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広大な美ヶ原の高原を眺めながらの写真です。 このあと駐車場まで戻り2時間35分の高原散歩でした。 |
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霧ヶ峰−美ヶ原 |
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