深田久弥著 「日本百名山」より、 大峰山はわが国で最も古い歴史を持った山である。この山についての古記録は、枚挙にいとまがない。・・・開山は役(えん)ノ小角と伝えられる。済明朝元年(655年)彼は22才で大峰山の上で苦行したというから、これを登山記録と見れば日本最古であろう。それ以来霊山として信仰の的になり、天皇、皇族、公卿などの参詣がしばしば行われた。 |
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昨夜は、道の駅・吉野上北山の駐車場での車中泊でした。5時に道の駅を出て、国道309号線に入る。林道のような道を走り行者還トンネル西口にでる。目の前に有料駐車場のプレハブが建っていた。 大峰山の最高峰の八教ヶ岳は近畿の最高峰である。一般的に大峰山とよばれていますが、実はこの大峰山系には「大峰山」と呼ばれる山は無く、吉野から熊野までの山々の総称を大峰山というようです。その山頂をつないだ道が大峰奥駈道で、今回は、吉野からの縦走路の最高地点である八教ヶ岳への最短路を弥山登山口からの日帰り登山です。 |
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昨夜泊まった道の駅・吉野上北山からは、冬期には通行止めとなる国道309号線を通って45分で到着した。 6時前だったがすでに6台ほどが駐車しており、一台は車の脇にテントを張って寝ていたようだ。 車を止めてから、軽い朝食をするためストーブを出してお湯を沸かし味噌汁やスープを飲み腹ごしらえをする。 |
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最近プレハブ小屋を建て駐車料金を取るようになったようで、普通車で1000円を徴収された。それでも、敷地内は砂利をひきキレイに整地はされていた。 | |||||||||||||||||||||
このプレハブ小屋の左の階段が登山道となっており、脇の標識には、世界遺産、大峰奧駈道・弥山登山口と出ていた。 | |||||||||||||||||||||
5分ほどは、右に渓谷のせせらぎを聞きながら平らな道を歩いていくと、対岸に渡る苔むした橋が現れてきた。 | |||||||||||||||||||||
川を渡るとすぐに急な登山道となっていた。昨日の大台ヶ原と同様のツクシシャクナゲの群生が現れてきたが、やはり花の時期は終わりであった。 | |||||||||||||||||||||
登り始めは青空が見えて明るい朝の日ざしが差し込んでいる中、急登を登る。 | |||||||||||||||||||||
奧駈道出合に出てきた。60分の登りでした。地図を見るとここからしばらくは水平移動でゆっくり、のんびりと歩けそうである。 | |||||||||||||||||||||
弁天の森手前では、立ち枯れた樹木がたくさん横たわっている中を登る。 | |||||||||||||||||||||
弁天の森は1600mで奧駈道出合からは50mほどしか登っていないので、息も切れることもなく登ってくる。 | |||||||||||||||||||||
弁天の森からは緩やかに下っていくと、西側の開けた樹林帯から弥山と八経ヶ岳が雲の合間から見え隠れしていた。 | |||||||||||||||||||||
緩やかに下った所には、聖宝ノ宿跡がある。その昔には修験道の山伏たちが泊まった宿の跡地なのだろうか。今ここには、修験道の山伏の銅像が鎮座していた。 | |||||||||||||||||||||
聖宝ノ宿跡からは急登が始まっていた。それでも整備が行き届いているせいか、歩きやすい道が続いていた。 | |||||||||||||||||||||
尾根道に出るが雲がかかり展望がない。朝方の青空はどこかに行ってしまったようだ。 | |||||||||||||||||||||
この登山道は急登はあったが危険な箇所は一カ所もない。事前に調べた時には、先入観か修験道の山伏たちが行く道はクサリや危険な岩場等があり、そこを越えなければ山頂へは行けないものだと思い込んでいたので、すこし気が抜けたような気分だった。 |
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弥山小屋に到着です。なかなか立派な山小屋でした。しかし、梅雨の合間の平日なのか小屋は閉まっていました。 | |||||||||||||||||||||
吉野熊野国立公園 大峰・弥山の大きな標識が小屋の脇に立っていた。写真を撮り弥山のある弥山神社に登る。 | |||||||||||||||||||||
弥山神社の鳥居と、これから行く近畿の最高峰・八教ヶ岳が見えています。 | |||||||||||||||||||||
八教ヶ岳へは一旦下り、登り返す所に鹿柵が設置されていました。その脇には、国の指定天然記念物であるオオヤマレンゲを保護するために柵を作った。と書いてありました。 鹿柵の中の植生は明らかに外側と違って、低いところにもたくさんの植物がありました。 |
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オオヤマレンゲの花は、まだ咲いていなかった。名前はわからないが、この可憐な花々が一面に咲いていた。 やはり、鹿柵の中では、外と明らかに違い色んな花が咲いているか、蕾をもって花を咲かそうとしているようだった。 |
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八教ヶ岳の直下では、南側が開けて崖が切り落ちていた。 | |||||||||||||||||||||
弥山から25分ほどで、八教ヶ岳の山頂に到着です。修験道の山らしく、錫杖が立ち私たちを迎えてくれました。 しかし、残念ながら展望はありません。弥山を振り返ると雲の合間に弥山小屋が見え隠れして晴れ間も見えませんでした。 |
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弥山小屋に戻り、昼食休憩を取りました。トイレもキレイで、ビックリしたのは、水の出るのは少しですが水洗トイレです。 | |||||||||||||||||||||
トイレ等の水は、この小屋の上に立っている水のタンクからの給水だと思います。ハシゴしかありませんし、物置ではないようです。 下山後は、熊野方面に南下し、尾鷲から松坂を経て伊勢湾岸自動車道、そして東名高速を抜け横浜まで疲れた体にむち打って帰って来ました。 |
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